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プロスピAのOBガチャで出て欲しい1980年代のOB(中日)

プロスピAのOBガチャで出て欲しい1980年代のOB

2018年1月星野仙一氏がお亡くなりになりました。

エースとして活躍した選手の時も監督として指揮を執った時も常に戦う姿勢を前面に出されて熱くドラゴンズを引っ張り戦い続けた星野仙一氏の訃報はあまりにも急で残念でなりませんでした。

今も空の上から中日、阪神、楽天だけでなく日本の野球界を見守ってくれていることでしょう。

2019年今年の中日は松坂大輔投手のファンとタッチをした際にけがをしてしまう事故や超スーパールーキーの根尾昂選手が肉離れで離脱したりとバッドニュースからのスタートでしたね。

与田新監督を迎え新体制になった中日の脱Bクラスを期待している中バッドニュースからのスタートでしたがどうなる事でしょう。

若くて活きの良い投手が多いので与田新監督の手腕が発揮されれば強い中日がみられるのでは?という予感がしています。

そんな今シーズンは期待感満載の中日ドラゴンズの1980年代のOBをチョイスしてプロスピAのスターティングメンバーを組んでみましょう。

1980年代のドラゴンズは最下位5位かと思えば翌年優勝

1974年に巨人の10連覇を阻止しセ・リーグを制して以降たまにBクラスに甘んじることはあったものの常に優勝争いを繰り広げてきた中日ですが、ここ最近は6年連続Bクラスと低迷してしまっていますね。

80年代の中日は最下位5位の後に優勝してみたり優勝の翌年5位だったりと中々安定した成績が残せていないけれども強いイメージがありました。

昔は今みたいにフリーエージェントで選手が1局集中する事も少なく各チームに素晴らしい選手が分散し実力が拮抗していたのも順位が安定しなかった要因として考えられるかもしれませんね。

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1980年代のドラゴンズ先発投手陣は個性派集団

当時の投手陣の中心は間違いなく小松辰夫氏ではないでしょうか?

今年の選抜高校野球で優勝候補にあげられている奥川投手を擁する星稜高校出身で豪速球でならし決勝戦まで進んだ実績を引っ提げてプロ入りしました。

最速154キロのスピードボールを武器に79年に抑えで1軍に定着すると頭角を表し82年には先発として12勝84年には抑えで胴上げ投手に85年には17勝あげ最多勝に最優秀防御率最優秀投手賞に投手最大の名誉沢村賞の4冠に輝く活躍をあげました。翌年は打球を脛に受ける不運もあって7勝に終わりましたが87年には再び17勝をあげ最多勝に輝いています。怪我に泣かされる事も多かったですがこの時代のエースは小松辰夫氏で間違いないでしょう。

本格派小松辰雄氏に対して技巧派鈴木孝政氏もこの時代に中日を支えた投手陣の一人です。

最多セーブ1回最優秀救援投手2回最優秀防御率1回の成績をあげた70年代中盤の方が印象強いのかもしれませんが先発投手として活躍したのは80年代でした。

82年には9勝しリーグ優勝にも貢献しています。70年代は155キロも計測したことのある鈴木孝政氏ですが登板過多による故障で技巧派として緩急のピッチングで甦り見事に84年には16勝をあげています。

小松辰雄氏、鈴木孝政氏が右のエースならこの当時の左投手の代表は都裕次郎氏でしょう

速球と140キロ代の速球とスライダーを武器に82年にはキャリアハイの16勝をあげ.762の最高勝率を記録しリーグ優勝に貢献し84年には開幕から7連勝して13勝の勝ち星をあげました。

80年代後半には西武から平野謙氏とのトレードでやって来た小野和幸氏も80年代のドラゴンズの先発陣に於いて外せない一人ですね。

今をときめく日本ハムの吉田輝生投手の先輩にあたる金足農業高校出身の投手で西武ライオンズに高卒でドラフト外で入団し81年と83年にはファームで最多勝をあげる成長ぶりでしたが、1軍では味方の援護などが無いことも多く思うような結果を残せずにいましたがトレードでやって来た初年度にいきなり18勝をあげて最多勝.818で最高勝率を記録しリーグ優勝に貢献しました。

先発投手陣で言うならジャイアンツからやって来た西本聖氏も89年のトレード元年に20勝をあげて最多勝を獲得し最高勝率を記録しています。しかし西本聖氏はどうしても80年代はジャイアンツのイメージが強いですね。

先発最後の一人は近藤真一氏をチョイスしたいです。

プロに在籍したのは6年間で勝利数も12勝ですが、初登板のインパクトがあまりにも強すぎた投手ですね。

プロ入り初登板は87年の8月9日の名古屋球場での対巨人戦に近藤真一氏が先発として抜擢され140キロ台中盤から後半のストレート大きく割れるカーブを武器に巨人打線をノーヒットに抑えプロ野球史上初のプロ入り初登板ノーヒットノーランをやってのけたのです。その後は怪我に泣かされ思うように活躍できませんでしたが昨年までドラゴンズのコーチとして現場で野球に携わっていました。

杉本正氏は85年に田尾安志氏との交換トレードでドラゴンズにやって来た大きなカーブと140キロの直球を抜群のコントロールでコーナーに投げ分ける左腕の先発投手で86年87年には12勝13勝と2桁勝利をあげています。先発登板した試合の5回に4-2で勝ち投手の権利目前で星野監督に交替を告げられボールを渡さなかったという心の強そうなエピソードもあります。

1980年代ドラゴンズ中継ぎと絶対的守護神

80年代のドラゴンズの中継陣は右のサブマリン三沢淳氏鹿島忠氏川畑泰博氏まだ花開く前の山本昌氏に先発から回ってきた鈴木孝政氏クロマティに殴られて有名な宮下昌巳氏などが入り乱れて凌ぎを削っていた感じです。

そんななかで抑えの役割を担っていたのが絶対的守護神で活躍年代が若干違う二投手牛島和彦氏郭源治氏です。

どちらもストレートがめっちゃ速くて牛島氏は140キロ後半の直球とフォークボール郭源治氏は150キロオーバーのストレートにフォークとスライダーを駆使して87年88年と2度最優秀救援投手賞を獲得しています。牛島氏も落合博満氏との世紀のトレードでロッテに移籍した87年に最優秀救援投手賞に輝いています。

80年代初頭はエースとしての活躍も見せた星野仙一氏ですが80年代後半の監督としての熱さで先発ではなく敢えてベンチにおいてみました。

プロスピA1980年代のドラゴンズOB外野手は超豪華❗

当時のドラゴンズの野手陣で有名なのはショートフライをヘディングした宇野勝氏があまりにも有名ですが子供心にドラゴンズの選手はピリッと良い選手が多いなと思っていました。

その筆頭が平野謙氏で走攻守の3拍子揃った選手で肩も強く犠打も巧くしかもスイッチヒッター86年には盗塁王に輝き守備の名手に送られるゴールデングラブ賞は9回も受賞しています。

甘いマスクの田尾安志氏もこの時代のドラゴンズの人気選手でしたね。

俊足巧打で82年も打率首位の長崎啓一氏に1厘差で首位打者争いを演じるも最終試合で全打席敬遠され惜しくもタイトルをとることは有りませんでしたが82年から84年までの3年間シーズン最多安打を記録しています。

次は大島康徳氏生涯2000本安打を達成しているスラッガーで83年には本塁打王にも輝いています。

素晴らしい成績を残しているにも関わらずタイトルを取った年も含めてベストナインなどに選出されていない衣笠祥雄氏や田代富雄氏同様に他チームの同ポジションの選手が強力過ぎたという悲劇の選手でもあります。

彦野利勝氏は長打力のある1番バッターとして平野謙氏がトレードで西武ライオンズへ移籍した後のセンターを守り強肩を活かした守備でゴールデングラブ賞も3度獲得しています。矢沢健一氏の後の一塁手や外野主として勝負強いバッティングの川又米利氏や後に打点王と本塁打王に輝く大豊泰昭氏も80年代の後半に活躍した選手です。

1980年代のドラゴンズOBで組む内野陣は?珍プレー好プレー大賞に輝く男は欠かせない

この時代のドラゴンズの内野手で1番知名度の高い選手はやはり宇野勝氏を於いて他にはいないでしょう。

81年の8月26日の対巨人戦で投手星野仙一氏が2-0と中日リードの中7回裏ツーアウトランナー2塁から山本工児氏を力ないショート後方のポップフライに打ち取ったかに見えた打球を宇野勝氏が人工芝にスパイクを引っ掛け頭で大きく弾き飛ばしてあわや同点ランニングホームランになりかけるド派手なエラーをしたことで当時みのもんた氏のナレーションで人気のあったプロ野球珍プレー好プレーで散々放送された事によって一躍名前を知られることになりました。

それまで対巨人戦に158試合得点されておりその悪しき記録を自身で停めると公言していた星野仙一氏はグローブを叩きつけて悔しがっていましたが宇野勝氏を気遣って食事に誘ったそうですが食事に行く途中で前を走る星野仙一氏の車に宇野勝氏が追突したという更なるオチがあったという話もあるらしいです。

後ろから車で追突したのは事実ですがその日かどうかは定かではありません(笑)

選手としても強烈で遊撃手として主にプレーして20本塁打以上を9回も記録しそのうち30本塁打以上は3回40本塁打以上は1回本塁打王にも輝いています

矢沢健一氏は長きに渡りドラゴンズの中心選手として活躍しました。

70年に入団してから76年にあの張本勲氏と首位打者を争い獲得するなど活躍していましたが78年以降怪我で不振に落ちりましたが復活して80年代もクリーンナップとして活躍し長打が多くなった印象でホームランの数も増え80年から84年までは5年連続20本塁打以上を打ち80年には首位打者を獲得し84年には最多安打を記録しています

この時代のドラゴンズの2塁手は上川誠二氏以外考えられませんコツコツ短く持ったバットでコツコツと打つシュアーなバッティングが特徴的な選手でした。

主につなぎ役で2番や8番を打つ事が多かったですが三振の数が極端に少ない選手で足も速く毎年コンスタントに5本前後スリーベースヒットを打っています。

ドラゴンズの捕手は中尾 孝義氏が中心になりますが80年代後半に星野政権になってからは中村武志氏が正捕手へと頭角を現します。

中尾孝義氏は強気のリードと走攻守どれも能力の高い捕手として盗塁も捕手としては多く打率も3割には到達しないもののそれなりに結果を残していましたが怪我が多く中々130試合出場することがありませんでしたが82年にはベストナインに選ばれ優勝に大きく貢献してMVPに輝いています

中村武志氏は86年以降10年に渡って正捕手の座を守り続けたこの時代のドラゴンズの捕手で星野政権時は常に星野監督の傍で鉄拳を受けていたイメージが非常に強いですね。

強肩で盗塁阻止率も5割越えを2度記録していてリード面も投手陣の信頼が厚く投手のヒーローインタビューで名前を挙げられることが多く守備率もほぼ9割9分越えでエラーも少なく打撃では3割こそ到達しないものの長打力を兼ね備えた選手でした。

落合博満氏は言わずと知れた3冠王を2度獲得した名プレイヤーです。

80年代前半はロッテオリオンズで主軸として2度の三冠王に輝きホームランも50本越えを2度記録するなど単打も長打も出塁率は常に4割越えの活躍で87年の星野政権1年目に4対1のトレードでドラゴンズにやってきました。

首位打者、本塁打王、打点王どれも5回獲得しているのですがドラゴンズでは89年の打点王と90年91年の本塁打王に輝いています

広角に長短打を打ち分け選球眼も良く何度もフォアボールの数もリーグトップになっており穴のない選手と言って過言ではないでしょう。

他にはPL学園から鳴り物入りで入団してきて後にドラゴンズを背負って立つ立浪和義氏や、さすらいの名手鈴木康友氏仁村徹氏等もこの時代のドラゴンズの内野陣で活躍していましたね。

プロスピAで使いたいドラゴンズの1980年代のOB助っ人外国人は

名前の響きがやたら面白くよくダジャレで使われていたのがゲーリー・レーシッチ氏で下痢と絡めてよく子供の頃ダジャレを皆が言っていた記憶があります。

86年から3年かだけしかいませんでしたが来日1年目からクリーンナップに定着し本塁打を36本88年には不振の落合に代わって4番を務めリーグ優勝に大きく貢献しました。

この時代の助っ人外国人で忘れてはならないというか忘れようがないですがドランゴンズの助っ人と言えばこの人ケン・モッカ氏です。

82年から85年までドラゴンズで活躍して日本で引退しました。

82年は3番サードでリーグ優勝に貢献し84年には31本塁打93打点を記録し4年間で3割を切った年は1年だけでした日本で引退したため引退試合に選手から胴上げされたりと選手からもファンからも愛された助っ人外国人です。

ドラゴンズ1980年代OBで組むプロスピオーダーはこれ

 

ドラゴンズと言えば「燃えよドラゴンズ」です。

プロスピA仮想オーダー用に適当に歌詞を変換したり当てはめております。

板東英二氏に是非歌って欲しいものです。

遠い夜空にこだまする 龍の叫びを耳にして

ナゴヤ球場つめかけた 僕らをジーンとしびれさす

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

1番 田尾が塁に出て 2番平野が送りバント

3番モッカがタイムリー 4番矢沢がホームラン

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

5番大島よみがえる 6番宇野が狙い打つ

7番中尾が駆け抜ける 上川バットに気を入れよ

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!

小松 小野が 勝ちに乗る 孝政 川畑星を取る

西本シュートが冴えわたり 小松 牛島後を絶つ

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

若武者近藤・上原に 踊る守護神・郭源治

切り札大豊、音、康友ルーキー立浪ファイト彦野

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

落合左右に打ち別けて 星野は巨人に燃えている

助っ人ゲーリーDH 三沢、杉本中を継ぐ

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ

僕もあなたも願ってる 祈る気持ちで待っている

それはひとこと優勝だ お空の星野を胴上げだ

良いぞ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!

頑張れ頑張れドラゴンズ 燃えよドラゴンズ!

かなり無理矢理に全員詰め込んでみましたプロスピAのガチャ選手選別担当の方(そんな人居るのか?)どうぞよろしくお願いします。


プロスピAで出て欲しいOB(巨人)

プロスピAで出て欲しいOB(ヤクルト)

プロスピAで出て欲しいOB(横浜)

プロスピAで出て欲しいOB(広島)

プロスピAで出て欲しいOB(阪神)

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