2020年コロナウイルス渦の現在日本では緊急事態宣言が出され生活の様々な場面で規制や自粛が必要とされていますね。
当然スポーツの世界も自粛で高校野球やインターハイ、全中にプロの世界では大相撲、ラグビー、バスケットボール、ゴルフ、テニス、Jリーグも無観客で行うことも出来ず中止だったり開幕延期だったりと先の見えない厳しい状況ですね。
もちろんプロ野球も他のスポーツと同じように開幕を延期しています。
stayhome お家に居ましょう
感染力が非常に強い状況のため不要不急の用事以外家に居るのが一番だと思います。
そんなstayhomeを何日も過ごしていると退屈してきますが、プロスピAならばコロナウイルスも気にせずプロ野球を開幕させることが出来ますね。
今やあのメジャーリーガーダルビッシュ有選手もTwitterで呟いたりYouTubeにアップしているほど面白いプロスピです。
で、どうしても私は今の現役選手もすごいけれど子供の頃に憧れて見てた選手を使って遊びたい❗と言うことで。
プロスピAで登場させて欲しいセ・リーグの5球団のOBを書いてきましたがジャイアンツだけ書いてなかったのでこの機会に書いてみます。
この記事の目次
プロスピAジャイアンツOBガチャに登場させて欲しい投手陣
私自身の年齢的な事も有るかもしれませんが1980年代のプロ野球は良い選手が沢山いてかっこ良くてとても面白かったしワクワクして野球を見ていました。ジャイアンツが飛び抜けて強かったV9の時代を抜けて実力が拮抗してきたから余計に面白かったのかもしれませんね。
プロスピAのOBガチャには既にジャイアンツの1980年代に活躍した投手はほぼ出ているかもしれませんが「アフラーアン」目線で選出していきます。
プロスピAのOBガチャにはもう出てるけど、ジャイアンツの1980年代のエースは江川卓
まずは先発の5人から1人目いわゆる開幕投手ですね。
候補は江川卓氏、西本聖氏、桑田真澄氏の3人です。
他にも加藤初氏や定岡正二氏に晩年の堀内恒雄氏、新浦壽夫氏、槇原寛己氏に水野雄二氏、斎藤雅樹氏、ガリクソン氏等が80年代はローテーションを回していましたが開幕投手は江川卓が4回西本聖氏が4回桑田真澄氏が2回で3人だけしかいないんです。
この豪華な投手陣で3人で開幕投手独占ですし桑田真澄氏は88年と89年の2年なので実質80年代のジャイアンツを牽引したのは江川卓と西本望の2人といっても過言ではないでしょう。
80年代のジャイアンツのエースは江川卓氏ではないでしょうか。
78年の空白の一日事件で阪神タイガースから小林繁氏とのトレードでジャイアンツに入団してからルーキーイヤーの79年こそ9勝10敗の一桁勝ち星での負け越しという成績でしたが、2年目の80年には16勝をあげて最多勝219奪三振で最多奪三振の2冠。
3年目の81年には20勝あげて最多勝に最多奪三振、最優秀防御率に最多完封、最高勝率の投手5冠。おまけにリーグ優勝の最優秀選手賞も。
この年に沢村賞は確実に江川卓が受賞するだろうと思っていたら同じジャイアンツで切磋琢磨していたライバルの西本聖が受賞。
江川卓の20勝に対して西本聖は18勝普通に考えれば江川卓が沢村賞ですが昔は新聞記者の投票で沢村賞を決めていたので入団時のイメージの悪さ等も影響したのでは?といわれてます。
マンガ「江川と西本」では記者の数名が好き嫌いで自分が西本聖に投票しても他の人が江川卓に投票するから問題なく江川卓が受賞するだろうと思って投票したら西本聖が受賞して焦るみたいな描かれ方でした。
江川卓氏は1979年からの1987年までの9年間で135勝をあげていますがルーキーイヤーの79年の9勝を除いて8年間引退する年も含め全て2桁勝利をあげ2度の最多勝、最多勝率、3度の奪三振王に輝くなど間違いなくこの時代のエースは名実共に江川卓氏でしょう。
2本目の柱はやはり江川卓氏とライバルとしてチーム内で切磋琢磨した西本聖氏です。
1976年から中日に移籍する88年まで12年間で126勝江川卓氏ほど派手な成績は無いものの安定した成績でジャイアンツの投手陣を牽引した投手で80年代の開幕投手を4回任されています。
長嶋茂雄氏の第一次監督時代の最終年に前年の成績不振とベテランと若手の世代交代の為に1軍の若手選手を集めて日本球界において43年ぶりに秋期キャンプが行われた。
俗に言う「地獄の伊東キャンプ」で昔はペナントレース前のスプリングキャンプでノックを浴びるように受けて泥まみれになるシーンなどをよく目にしましたがまさにそんな受けて受けても終わらないような猛練習の日々だったそうです。
その伊東キャンプに投手陣の中からは江川卓氏や西本聖氏、鹿取義隆氏、角盈男氏など6人が参加していたが江川氏と西本氏は競い合うように1日400球投げたという話もあるほどです。
このキャンプに参加していた選手が80年代のジャイアンツを牽引していく活躍をしていく選手に成長していくから長嶋茂雄はやっぱりすごいですね。
まあ活躍する頃には監督は藤田元司氏に代わってるんですが。
3人目は桑田真澄氏ということになるでしょう。
入団2年目の87年に15勝し沢村賞受賞88年に20才で球団史上最年少の20才で開幕投手を任され翌年の89年も2年連続で開幕投手を託された訳ですから3人目の先発は必然的に桑田真澄氏です。
4人目は通常ならば89年に20勝して最多勝に輝いた斎藤雅樹氏になるんでしょうが、82年に18勝で沢村賞の西本聖氏と翌年15勝で同じ勝ち星の定岡正二氏バラエティー番組に後年よく出ていたので野球人としての評価が低い?笑ような気がしますが80年代前半は江川、西本、定岡の3本柱だった時期もあるのでもっと評価してあげて欲しい気がします。
5人目は加藤初氏を選びました。
斎藤雅樹氏や槙原寛己氏のように派手な成績こそないですがジャイアンツの投手陣を長年支えていたようなイメージと粘り強い嫌な投手のイメージがやたらある投手です。
中継ぎセットアッパーは先発の5枚に漏れた斎藤雅樹氏と槙原寛己氏をスライドで選択しようと思いましたが実際の中継ぎ陣からにしました。
斎藤雅樹氏は88年までは中継ぎメインではありましたが89年に20勝して最多勝に輝いているのでベンチにしました。
セットアッパーの2人はこの時代のリリーフの代名詞のような角、鹿取、サンチェの黄金リレーから角盈男氏、鹿取義隆氏左右のサイドスロー投手が後ろに居て先発は強力でと考えると嫌なセットアッパーではないでしょうか。中継ぎは水野雄二氏と宮本和知氏の2人。
水野雄二氏は甲子園で大活躍して阿波の金太郎のニックネームで1軍に定着してからは中継ぎ抑え時に先発と獅子奮迅の活躍だった思います。
宮本和知は当時の巨人の左腕と言えば角と宮本和知氏しか居ないくらいのイメージで貴重な左腕として先発中継ぎとフル回転なイメージです。
抑えは角と鹿取をセットアッパーに置いたので自ずとサンチェ氏になりました。めっちゃ背が高くてあの風貌でストレートがめっちゃ早く当時日本に居ないタイプの助っ人で印象はすごく残っています。
他にも槙原寛己氏やガリクソン氏等も悩んだのですが槙原氏は1985年の3連続被弾のイメージからガリクソン氏は糖尿病を患いながら活躍してるのですが日本で活躍した年数は長くないのですでにプロスピでOBガチャで出現してることもありパスです。
割とガリクソン氏はプロスピに限らずゲームで登場することが多いですがガリクソン氏が出るならカムストックだって登場させるべきだと思いますが、まあ出てきませんね。
他にも、香田勲男氏や広田浩章氏等も中継ぎで活躍していたので今後OBガチャで出てくると嬉しいです。
プロスピAジャイアンツOBガチャに登場させて欲しい内野手
ジャイアンツのOBガチャで引き当てると心踊る選手は長嶋茂雄氏や王貞治氏に松井秀喜氏等歴代の4番打者を引き当てると嬉しいものですがいぶし銀の選手も登場させてくれると、運営やるなとニヤリとしてしまうものです。
捕手は有田修三氏や中尾孝義氏とかいますがこの時代のジャイアンツの捕手は山倉和博氏一択で問題ないでしょう。
ベストナインもゴールデングラブ賞も各3回最優秀選手賞は1回打率2割に充たないシーズンもありますがMVP最優秀選手賞に輝いた87年には2割7分3厘本塁打22本は申し分ない成績です。
80年代のジャイアンツの内野陣は固定、OBガチャに河埜出して欲しい
一塁手は絶好調男中畑清氏二塁手は篠塚利夫氏三塁手は原辰徳氏遊撃手は河埜和正氏80年代のジャイアンツは内野の布陣は河埜和正氏が引退するまではこうで晩年に遊撃手に鈴木康友氏、鴻野 淳基氏、岡崎郁氏、勝呂博憲氏、川相昌弘氏などが入ることはあってもほぼほぼこの布陣でした。
年 | 監督 | 3番打者 | 4番打者 | 5番打者 |
80年3位 | 長嶋茂雄監督 | ホワイト (左翼手) | 王貞治 (一塁手) | 淡口憲治(右翼手) |
81年優勝 | 藤田元司監督 | ホワイト (中堅手) | 中畑清 (一塁手) | 原辰徳 (三塁手) |
82年2位 | 藤田元司監督 | 篠塚利夫 (二塁手) | 中畑清 (一塁手) | 原辰徳 (三塁手) |
83年優勝 | 藤田元司監督 | 篠塚利夫 (二塁手) | 原辰徳 (三塁手) | スミス (右翼手) |
84年3位 | 王貞治監督 | クロマティ(中堅手) | 中畑清 (一塁手) | スミス (右翼手) |
85年3位 | 王貞治監督 | クロマティ(中堅手) | 原辰徳 (三塁手) | 中畑清 (一塁手) |
86年2位 | 王貞治監督 | クロマティ(中堅手) | 原辰徳 (三塁手) | 吉村禎章(右翼手) |
87年優勝 | 王貞治監督 | クロマティ(中堅手) | 原辰徳 (三塁手) | 吉村禎章(左翼手) |
88年2位 | 王貞治監督 | 篠塚利夫 (二塁手) | 原辰徳 (三塁手) | 呂明賜 (右翼手) |
89年優勝 | 藤田元司監督 | 篠塚利夫 (二塁手) | 原辰徳 (左翼手) | クロマティ(中堅手) |
一度もBクラス(4位以降)に転落することなく4回の優勝この時代のセ・リーグの他の5球団も決して戦力的に低くないのでやはりとても強かったということですね。
篠塚利夫氏は84年87年には首位打者83年には原辰徳氏も打点王に輝いています。
プロスピAジャイアンツOBガチャに登場させて欲しい外野手
外野手は助っ人外国人も含め結構年度によって選手が入れ替わっていますが基本的にはクロマティ氏、松本匡史氏、吉村禎章氏がベストの布陣だと思います。
右翼手は入れ替えが多く外国人助っ人が入るケースも多いです。
駒田徳広氏も内野手のイメージですが若いころは中堅手でスタメンで出場していたりします。
ジャイアンツの外野手で中々OBガチャでは出てこないだろう選手の89年に活躍した井上真二氏やいぶし銀の山本功児氏、青い稲妻の松本匡史氏助っ人の呂明賜氏など出てきたらゲットしたい選手は多いですね。
80年代ジャイアンツの助っ人外国人選手と成績
80年代のジャイアンツの外野陣は助っ人の外国人選手が守ることも多かったです。
年 | 助っ人外国人 | 成績 |
1980年 | ホワイト(中堅手) 128試合出場 | 打率.284 本塁打29本 打点75 |
80年 | シピン (2塁手) 75試合出場 | 打率.224 本塁打 9本 打点21 |
81年 | ホワイト(中堅手) 127試合出場 | 打率.273 本塁打13本 打点55 |
81年 | トマソン(右翼手) 120試合出場 | 打率.261 本塁打20本 打点50 |
82年 | ホワイト(中堅手) 107試合出場 | 打率.296 本塁打12本 打点42 |
82年 | トマソン(右翼手) 47試合出場 | 打率.187 本塁打 0本 打点 5 |
83年 | スミス (左翼手) 102試合出場 | 打率.285 本塁打28本 打点72 |
83年 | クルーズ(右翼手) 58試合出場 | 打率.240 本塁打 4本 打点17 |
84年 | スミス (右翼手) 84試合出場 | 打率.255 本塁打 17本 打点50 |
84年 | クロマティ(左翼手)122試合出場 | 打率.280 本塁打 35本 打点93 |
85年 | クロマティ(中堅手)119試合出場 | 打率.309 本塁打32本 打点112 |
86年 | クロマティ(中堅手)124試合出場 | 打率.363 本塁打37本 打点98 |
87年 | クロマティ(中堅手)124試合出場 | 打率.300 本塁打28本 打点92 |
88年 | クロマティ(中堅手) 49試合出場 | 打率.333 本塁打10本 打点36 |
89年 | クロマティ(中堅手)124試合出場 | 打率.378 本塁打15本 打点72 |
このメンバーで戦えたら負ける気がしないかもしれませんね。
現役の選手も当然素晴らしい選手ばかりですが80年代に憧れた選手たちを操作して楽しくプロスピをプレーしたいですね。
現在大変な世の中ではありますが少しでも早く終息してプロ野球が開幕できたり日常生活が少しでも以前の状態に戻れるよう心から願います。